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GACKT 著書 『自白』~ピアノに目覚めた中学時代~

今回はGACKTさんがやっと辞められたはずのピアノに目覚める話です。

~ピアノに目覚めた中学時代~

やっとピアノを辞めることができてからは、ピアノの前に座ることさえなかった。
ヤンチャばかりの毎日だった。14歳ぐらいの時、一人の男の子と仲良くなった。一緒にヤンチャしてる連中はみんな、いろんな家庭環境で育っていて、どこか逃げている感じがあった。

 ただ、彼だけは違っていた。考え方がどこか違う。ヤンチャだが、逃げている感じはない。ケンカはめっぽう強い。僕はいつしか好んで彼といっよにいるようになった。

学校をサボって彼といた時、
「今ならおやもいないから、うちへ来るか?」という話になった。それまで彼に家に行ったことは無い。
「親がキビしいから」という言葉は何度か聞いていたが、彼の家の場所さえ知らない。
 初めて行った彼の家は、大きな屋敷だった。門構えも立派で、非常に裕福な家庭ということが一目で分かった。僕はそこで気が付いた。だkら、誰にも家を見せたくなかったのだな、と。つるんでいる連中とは明らかに違っていた。

 庭から家に入ると、目の前の部屋にグランドピアノがあった。学校の音楽室に置いてある物よりはるかに立派なグランドピアノ。

GACKT「これ、誰の?」

僕は思わず聞いていた。彼は涼しい顔で言う。

友達「俺の」

GACKT「ウソつけ」

友達「いや、本当だって」

彼はそういうと、グランドピアノの蓋を静かにあけ、いきなりブワ〜ッと弾き始めた。

 信じられない光景だった。今まで一緒にヤンチャしてた自分の連れがピアノを弾いている!しかも、物凄いレベルの高さだ。
「親が音楽の先生だから、小さい頃からずっとやらされていたんだ」と彼は言う。僕も、その時初めて打ち明けた。

GACKT「実は俺もやってたんだ。」そして、僕も弾いてみせた。
でも、レベルは格段に違う。彼も僕と似た環境だったと分かりはしたが、彼の腕前は明らかに僕より優れていた。僕のレベルなんて話にならない。

11歳でピアノをやめて、3年のブランクはあったものの、この差は何なんだ?
人としての器の違いを見せつけられたような気がして、僕は明らかに傷ついていた。
コイツに負けたくないという気持ちが燃え上がった。
僕は負けず嫌いなんだ。

 その足で、街の楽器店に行き、全音ピアノピースを探した。今日ごとにバラで売っているピアノ楽譜。グレードごとにランク分けされている。
彼の弾いた曲はどれもDやEの高難度のものだった。彼を追い越すためには、AとかBの次元じゃない。Cなんて練習しても話にならない。僕はグレードE以上の難易度の高いピアノピースがかりを抜いて全部、買って帰ると、その日から死に物狂いでピアノを弾き始めた。

 負けたくない。ただそれだけだった。ピアノがすきになったわけでもない。学校にも行かずに、ピアノばかり弾いた。寝る時間を削ってまでピアノを弾く。
 僕が急に精神的におかしくなってしまった思われたのか、あれほど練習しろと言っていた親が「もうやめて!」というぐらい僕はピアノに没頭した。
posted by A M I at 02:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | GACKT 『自白』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

GACKT 著書 『自白』~スパルタ教育~

今日は、子供の頃に英才教育を受けていたとWikipediaにかかれているころの話だと思います。

~スパルタ教育~

 もの心ついたときにはもう、ピアノを弾くのは当たり前という環境だった。
 習い始めたのは3歳。父親はトランペットを吹く人だったし、両親の共通の想いがあって、僕にピアノを習わせたのだと思う。
 家ではクラシックが流れていた。交響曲が多かった。あとはなぜかシャンソンとタンゴ。ほんと笑える話だが・・・・。

テレビは見ないので、ロック何てもの自体知らなかった。
 父親は演歌も大好きな人だった。だが、家では聴かずに、いつも車で聴いていた。
父親の車は、いつも非常にキツイ香水の匂いがして、車酔いのひどかった僕には拷問のようだった。必ず酔う
酔って気持ちの悪い時に流れてくるのが演歌だった。早く車から降りたい。僕はみみをふさいで、それだけを念じていた。演歌が流れるだけで、条件反射で気持ちが悪くなった。僕は演歌が大嫌いになっていた。
今聴けばいい曲もあるのだろう。でも、小さい頃の僕は、歌詞を聴くどころじゃなかったし、日本語の歌自体に違和感があった。
 音楽の教科書に載っている動揺や唱歌もマイナーコードのものがとても多い。日本の音楽はなぜこんなに暗い曲ばかりなのだろう。なんて哀しいメロディなのだろう。
 それに比べると、クラシックの交響曲は勢いがあって激しい。明るい。必然的に僕は日本の音楽より海外の音楽に惹かれる傾向が身についた。

 3歳から最初に教えて貰った先生はとにかくいい人だった。僕はピアノが大好きだった。もしかしたら、その先生に会うのが楽しみだったのかもしれない。練習することにも、それほど疑問を感じていなかったような気がする。でも、ピアノのレッスンをはッ小学校に入った頃から辛くなっていた。
 いろんな疑問が生まれたのは7つの頃だ。ピアノを習うのが恥ずかしくなった。「やらされている」感じが強くなった。苦痛だった。引越しを何度もして、先生が次々と代わったことも、ピアノが嫌いになった原因のひとつかもしれない。

 7つといえば、海で溺れたことと関係があるのだろうか?あの時から、僕の世界はガラリと変わったのだから。

当時の先生は、どの先生も僕をよく叩いた。腕や肩をバシッと強く叩かれる。「やる気あるの?」と冷たい声が飛ぶ。
僕の反抗心も燃え上がる。ピアノをやめたい。でも、親はやめさせてくれない。どうしたらやめられるのだろう。
 僕は先生に嫌われるようなことばかりした。先生の家の玄関の門に鎖を巻きつけ、鍵までつけて、外に出られないようにしてみたり。ヤンチャ仲間を呼んで、石を投げつけたり。凄く怒られたりもしたが、僕は先生に「この子は手に負えない。やめさせてくれ」と、ただ言わせたかっただけだ。親にも「この子を教えられる人はいない」と思わせたかっのだ。
 念願叶って、やっとピアノを辞めることができたのは11歳の時だった。

終わり。

やっぱり子供の時は誰しも習い事をさせらるんだなぁ〜〜
 
幼稚園の頃、ピアノをやらされていたのを何か思い出した。(笑)
指が細長いからか、「ピアノしてそうな指してる」って言われたことはあるけど、ピアノの教師で椅子にすわることがなかなかなかったそうです。自分でも今思えばなにしてたんだろう〜〜。そもそも、幼い頃にやる習い事なんて、そこの子供の意思はないし、親の願望なんだろうなぁ〜。でも、弾けるようになってたらよかったなぁとは思うな。今ひけるのは、猫ふんじゃっただけ・・・・・


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posted by A M I at 22:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | GACKT 『自白』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

GACKT 著書『自白』~幼少期(子供時代)の臨死体験と隔離病棟生活~ 

GACKTさんが書いた著書『自白』この本にはGACKTさんの幼い頃から生きてきたことが小説として書かれています。

かなり古い本だったかな?ボロボロなんですが、、、新品を探してもあまりみつからなかったので持っている人は以外と少ないのでは?

だから、すこし書いていきたいと思います。GACKTさんについてまだあまり知らないという人は是非。

全てを書くことは難しいので部分的に。。。。

『~幼少期の臨死体験と隔離病棟生活~』

僕は死ぬんだろうかーーーー。そんなことが、僕にはこれまで15回ほどある。

初めて走馬灯が起きたのは7つの時だった。

僕は沖縄の海で溺れた。波に飲まれて、苦しくて、もがいてももがいても、とにかく足が地面につかなくて、頭の上に物凄い勢いで波が動いているのが見えた。どんどん水中に引っ張られていく。息を吸おうとしても、塩辛い水が口に入ってくるだけ。


水を飲むだけ飲んだ時、急に音がパッと消えた。凄く優しい感覚、あったかい感覚、まるで何かに抱かれているかのような感触があった。どう表現すればいいのだろう。
僕は、それまで味わったこともない安堵感に包まれていた。
 その直後だった。走馬灯が回り始めた。生まれてからの記憶が事細かに、順番通りに頭の中で回って行った。
 初めての事だった。感じたことのない恐怖を味わった。間違いなく死ぬ。そう思った。

だが、僕は死ななかった。
それ以降、死に掛けるたびに走馬灯が起きる。死ぬかもしれない状況。交通事故とかケンカとか、それはたいがい突発的に起こる。
 それが15回。少し多いかもしれない。
 それほどヤンチャな少年だった。自分から死へと向かう傾向があった。


溺れた時は、ひどく怖かった。根っこの部分では、死ぬことを、おそらく、猛烈に恐れていたのだと思う。でも、同時に僕は死にとらわれていた。掴まれていた。死に近づいてみなければ、死は見えない。ギリギリまで近づいて、見極めたい。いつもそんなことを考えている少年だった。

そんなことから、自ら危険なことをわざとしていた。死ぬんじゃないか?ということを何度もしている。もちろん、いつもすごくビビッている。ビビッているのに、その瞬間が近づいて来ると安心しているもう一人の自分がいる。 
 もう少し、もう少しで答えが見えるかもしれない。そんな感覚。このレベルじゃまだ死なない。この程度だったら、まだ、やれる。もっともっと先の世界が見たい。そうやって自分自身を奮い立たせるところがある。
 たとえば、僕は大好きで10代の頃はよく乗っていた。カーブの多い道を当時の僕は、異常な攻め方をしていたと思う。それは、技術があるのではなくて、このレベルだったらまだいけるという感覚があったからだ。
その感覚が大好きだった。

スピードをぐいぐい挙げ、ある領域を超えると、すべてがスローに見えてくる瞬間がある。周りのすべてのものがゆっくりと見える。その感覚が長くなればなるほど、ものごとがクリアになっていくように感じる。それを超えたところに、たぶんきっと何かがある。それが見たい。それを味わいたいから、無茶をする。
 走馬灯が見えるまで、僕は攻め続けた。走馬灯が見えて初めて死を意識する。今、生と死のギリギリのところに僕はいる。それを感じるまで、僕はせめることをやめられなかった。

今では「異常だった」と、僕も思う。危ない少年だった。

死を求める僕には、生の意味がわからなかった。いきるということは、どういうことなのか。僕が生きて存在する価値はどこにあるのか。
そんな疑問が生まれたのも、実は7つの時の体験がきっかけだった。 
 
溺れた後、僕は色々なものが見えるようになった。その日を境に完全に変わった。目が覚めた後、今まで全く見えていなかったものが、完全にみえるようになっていた。いわゆる霊的な現象といえばわかりやすいだろうか。
 僕は、生きている人とそうでない人の区別が出来なかった。

そうでない人と話している僕は、周囲からみたら異様なものだったのだろう。親は、もちろんビックリしていた。
母 「誰と話しているの?」
Gackt 「おじさんと」
母 「おじさんなんて、どこにいるの?また、寝ぼけて」
そういって大笑いされた。
笑ってごまかしていたのかもしれない。ごまかしていたのは、僕に対する恐怖心だったのだろうか。

 そんなことが頻繁に起きるようになって、僕は精神的におかしくなったと思われたようだ。ひどく言われて、僕は自分が存在している意味が分からなくなった。

そんな状態が続いて10歳になったころ、僕は突然倒れてしまった。胃、内臓が激痛により、動けなくなった。
 病院に運ばれた後、原因不明だと言われた。まだ発見されていない伝染病かもしれない、と。

 そして、いきなり隔離された。隔離されて、監禁され、鉄格子の付いた病棟に放り込まれた。子供ばかりだったことから、おそらく小児病棟だったと思う。伝染病だったり、重病の子供が多い病棟だったのだろう。10歳の僕はそう思っていた。

廊下を出て他の病室に行くとほとんど死んでいく子供たちばかりだった。僕にはそのことがよく分かった。
 その子たちと話していると、「この子は明日、死んじゃうんだ。」みたいなことを、すぐに感じてしまうのだ。
 翌朝、看護師さんがバタバタ廊下を走る音が聞こえる。そして、僕は、友達がまた、一人、死んでしまったと知る。
辛い毎日だった。耐えられなかった。やっとできた友達も明日には死んでしまうのだ。そして、そのことを僕だけが知ってしまう。地獄だった。

このままここにいたら、きっと僕はおかしくなる。でも、僕は精神が安定していないからと、なかなか出して貰えなかった。
 どうしてだしてくれないのだろう。僕が正常じゃないからか?正常と正常じゃないの違いは何だ?
 僕は一生懸命、考えた。そして、思いついた。

 僕は、担当医をジッと観察し始めた。彼の動作、話し方、話の内容まですべて覚えた。そして、そっくりコピーした。担当医そっくりに真似をしたら、僕は正常だと判断されるのではないだろうか。
「もう退院していいよ。」
と、言われた。
僕は何も変わっていない。僕の中身は、これっぽちも変わっていないのに・・・・・

やっぱりという思いと大人への不信感だけが残った。
 でも、もう二度と入れられるのはイヤだ。
 だから、それから僕は、親や大人が言う、世の中的に正しい、いい人間のコピーをやり続けることにした。

 いったい僕って何なんだろうという思いをずっと抱え、ひきずりながら。

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